私はこう考える

議員定数・議員報酬を考える

議員定数は何人が適当か。26→22→20→18→?

議会選挙が近づいてくるたびに議員定数の削減論が盛り上がる。果たして本当に議員定数は少なければ少ないほど良いのか検証してみよう。
大網白里町の議員定数もここ10数年で26人から20人へ、そして今の18人へと削減されてきた。人口は倍以上に増え、定数は2割以上減り、人口1000人あたり1人だった議員が今では2500人あたり1人となっている。
福島県矢祭町という「合併しない宣言」で有名な町がある。全国から古本の寄付を募って「もったいない図書館」をつくったり、道路などの土木公共事業費を住民らで行い大幅に削減したりと頑張っている自治体ではある。
しかし、小さな町だから我慢するとか、住民サービスがおろそかになっては元も子もない。全国から多くの古本はあつまったが、図書館の機能は小説や物語だけおいてあればよいわけではない。千葉県の浦安や横芝光などの先進的な図書館がぜひ大網白里にも欲しいと思う。

矢祭町の議員を2人にするか、大網白里町を80人にするか

さて、矢祭町の議会改革を例に議員定数減や議員報酬を論じる方やマスコミも多いので私も考えてみたい。2002年に議員定数削減で10人になったというが、それまで18人もいたのだから最近までは本町とかわらないくらいの議員数がいたわけだ。矢祭町の人口は6260人、大網白里町が5万人超だから8分の1以下だ。矢祭町からの人口比で考えると本町は80人の議員が必要ということだ。本町からの人口比で考えると矢祭町議会は3人でも多過ぎる計算になる。議員が2人だと議長1人に議員1人、議員の賛成で全て決まってしまうので町長以上に権力を持つことになる。
議会には常任委員会がある。小さな町では2つか3つあることが多い。本町では3常任委員会がある。住民サービスの多様化している町では審査案件も当然多くなる。1つの委員会が3人しかいなかったら委員長1人で、委員が2人になる。2人では多様化した住民の意見をとても反映できるとは思えないし、2人が賛成反対に分かれたらいつまでたっても先に進まない。1委員会に6人位いれば委員長1人で委員が5人、5人いればある程度住民の意見を反映する議論もできるだろう。そうだとすると、6人×3委員会で18人、議長副議長は委員会から離脱するのが望ましいので、20人の定数というのはちょうど良いくらいか。委員会を2つにすると審査範囲も広くなるので、その分2名増やして計算をすると、8人×2委員会プラス2で18人となる。本町では18人~20人が適当な議員定数ということになる。

議員報酬日当制を考える

また矢祭町の議員が日当制で議会人件費が3分の1になったというが、人口あたりの議員歳費は本町と変わらない。
矢祭の議員は全て兼業議員だ。多くは農家だろう。その土地の性格にもよるが、これでいいのか疑問だ。本町では多くがサラリーマンだが、商工業者、農林水産業者まで様々な職業が混在している。年齢も若い世帯から高齢世帯まで様々な年代の方々が住んでいる。その代表たる議会議員が全員農家や土建屋さんの社長や退職した高齢者で占められていていいとお考えなのか。
日当制というのは議員は議会が開かれているときだけ働けば充分という制度ではないのか。本町の予算は一般会計だけでも130億円ある。これら貴重な税金の使い道を審査することが議員にとって最大の仕事だ。分厚い予算書を一度でも開いたことのある方は日当制などで議員の仕事ができるわけないことはおわかりだと思う。きちんと仕事をすれば日当制(矢祭の日当は3万円)の方が逆に高くついてしまう。
そもそも大きな町でも小さな町でも議員のやることはそんなに差はない。だから人口比例で議員定数を論じるのは間違っている。(大まかな定数は地方自治法で決められている)
定数削減や日当制で議員の仕事を縮小するよりも、町民の代表としてしっかり働いてもらう方が住民サービスの向上につながると私は考える。地方自治の先進地であるイギリスも現在では議員の専門職化が進む傾向にある。

黒須の報酬・政務調査費は大公開?

様々な事例には、それぞれ違った事情がある。それを無視して論じても全く意味はない。河村市長と対立してマスコミで有名になった名古屋市議会は2000万円もの報酬をもらっていた。これは確かにもらいすぎの印象がある。それならいくらなら適正なのか。名古屋という大都市で事務所を維持したり、視察研修をしたり、多くの有権者に議会報告をしたり、コミュニケーションをとるにはいくらの議員歳費が適当なのか。
私の場合、議員の報酬手取り330万円位、政務調査費49800円。そこから事務所維持費100万円、議会報告印刷・折り込み等で40万円、視察や研修、書籍購入などで20万円、その他文房具やパソコン維持費などで20万円。残りは150万円だ。おまけに8年で6回目の選挙だ。元々議員に限らず志がなければ政治活動も社会運動もできるわけがない。私もそうやって議員になる前からずっと生きてきた。今までぬくぬくとやってきた人間が議員になる時だけ志を持てばよいわけがないのは明らかだ。

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